がんがんもんもん

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がんがんもんもん

話したいことは山ほどあるけど

「大人」と「頭がいい」と「仕事ができる」話

この間ご飯を食べてる時に「大人」「頭がいい」「仕事ができる」の定義ってなんだろうって話になりました。そして私は案の定言葉をうまくまとめられず「持ち帰ってブログに書いていいですか」と言ったのでした。

もうこの段階で頭がよくない。

頭の中はだばーーーーーってなってたんですけどそれをうまく言葉にできなくて。
高速流しそうめん状態。あるいははじけるときに一粒が十倍になるポップコーン。もしくはぶつかるたびに分裂していくビリヤード。もしくは大当たり状態のスロット。ポケットの中にはビスケットがひとつ。叩きまくってビスケットの海で溺れ死ぬ。
脳みその思考レベル自由に動かせるようになればいいのに。ちなみに今日は若干の体調不良で脳みそ働いてなくて、ものすごく単純なことしか考えられない感じです。
とりあえず書いてみますけどあんまり結論とか構成もも決まってないのでふわーっと読んでください。

ほんだーい!

仕事ができる
「仕事ができる」はお仕事によって求められてることが違うからなんともいえないなーとおもってて。内勤なのか外勤なのか、現場職なのか人事なのかでも「仕事ができる」の定義は違う。
私は前の仕事では「仕事ができる」と言われてきたんですがいまは言われない。特殊職?なので、仕事の総量が最初から決まってて、渡されたものをずががーっと終わらせちゃって、それ以上のことはせず、やってますよーというアピールもせずにさっさと帰ってるからかもしれません。他人から見てその仕事の良い悪い、早い早くない、できるできないを評価するのがむずかしいからかもしれない。引き継ぎをして辞めていった先輩だけが唯一「仕事ができるね」と言ってくれた。(褒めて育てるタイプだったのかもしれない) 

でもまあ、自分のやるべきことをきちんと適切にこなせる人間はみんな「仕事ができる」とおもいます。ヒューマンエラーはもちろんあるけどね。

そもそも「できる」は可能であって…と思って辞書を引いたら『人格・能力・成績などがすぐれている。「彼は仕事が―・きる」「若いに似合わず人間が―・きている」「よく―・きる生徒」』って意味もちゃんと出てきました。
これにのっとると「仕事ができる」とは「仕事の能力、成績などがすぐれている」ことなのかもですね。

余談。
ちなみに前の会社は「仕事ができる」の前に大抵「女の割に」「女にしては」「女のくせに」がついてたのでむきゃーってなってました。褒められた気が全然しなかった。だから「仕事ができる」には「男」であるって前提条件あると思うよ。

頭がいい
「頭がいい」人間が好きです。
ってよく言うんですが、その私の使う「頭がいい」にはかなり複合的な意味が含まれています。というか、いろんな「頭がいい」があって、その中のどれかに当てはまったらそう呼んじゃうから、ほんとうは「頭がいい」じゃなくて「回転が早い」「発想力がすごい」「周りをよく見てる」みたいに個々の能力を見て褒めるべきなんだろうけど、「頭がいい」って言葉が便利だからついつい使ってしまうんだとおもう。

私の場合、自分にない思考能力を持ってる人を「頭がいい」って呼んでる気はします。方向性はどうであれ、自分を基準にすごいなーって思ったら「頭がいい」ので、世の中「頭がいい」人だらけなのだった。すごいなー。
「学校の勉強ができる」「生きるのがうまい」「誰にもない発想を持っている」「物事の取捨選択がうまい」「論理的思考ができる」「他人をうまく使える」etcは私にとってはどれも頭がよくて羨ましいです。

余談そのいち。
そんでもって時に「頭がいい」は拒絶の言葉にもなるのでそうならないように気をつけないとなーって思ってる。
「私と違って頭がいいからね」って言われたらそこでなにもかも終了しちゃう。かなしい。自分と相手は違う人間だという区切りの言葉としては使いたくないですね。あくまで尊敬の言葉としてつかいたい。

余談そのに。
このあいだ、発想力を褒められても嬉しくないけど発想を褒められると嬉しいのはどうしてか、って話を友達としてました。私は「発想力は本人だけど発想は発言自体をきちんと精査して咀嚼してくれてるからじゃないか」みたいなことを言ってうんうんみたいな感じになったんですけど。
自分に自信はなくても自分から切り離された感性とか一部の褒めなら素直に受け取れるとかってあると思う。
そんな感じで、刺さる褒め言葉は人によってちがうから、ひとつの便利な言葉で済ませようとしちゃいけないなーってなりますね。

大人
「大人」になりたいよーうぇーんってずっと言ってるんですけど、そもそも私の目指す大人ってなんぞやって話なんですよね。
甲斐性がある、頼りがいがある、割り切れる、あんまり悩まない、他人との距離感が適切に保てる…
うーん。わからない。わからないけど、「他人に期待しない」って言ってた人がいて、それはさみしくて、でも私が大人だなあと思う人たちはみんなそれをしている。その道はなかなか選べそうにないから別の道を模索しなければ。
たとえば、物事が重大になる前に気付けて他人を頼れて対処できるのは大人だなあと思うんですよね。私はついついひとりで請け負おうとして他人を頼れず、限界がきて物事が大きくなってからそういうことになる。それはこどもだなあといつも反省している。

他人との適切な距離感を理解していてそれを保てる。
っていうのが私の中だと大きいのかな。でもそれは自分が苦手なところだからだと思うし、「頭がいい」同様、いまの自分に足りていない出来ていないところのできている人間は「大人」に見えるのかもしれません。

でもとりあえず、自分の能力がきちんとわかっていて、他人の能力もきちんとわかっていて、それでその他人の能力を最大限享受できる距離感にいる人はとても「頭がよく」て「仕事ができ」て「大人」だとおもいます。ちょっと人間らしい情緒に欠けるかもしれないけどね。どうしても打算とか利害とか損得とか、そういうのが入ってくるし。
理想を追い求めると感情いらなくない?みたいになってくるんですけど、私は感情があっていろんな思考があって多様性のある感じが好きなので、それを保ちつつ素敵な人間になりたいなあ。なんかもう大人じゃなくてもいいや。ある程度の割り切りは身につけたいけど。

いまいちまとまりがありませんがみっつの言葉について考えてみました。うーん、まだ考え足りない気がするしひとつひとつにつきもっと例とか交えて語りたいけど。あんまり調子がよくなくて脳みそ鈍い感じするのでとりあえずここまで。
明日は全然違う結論かもしれないなあ。

それじゃあ続きはまたいつか。