がんがんもんもん

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話したいことは山ほどあるけど

言の葉の庭とスランプの話

追伸 
最後まで書いて戻ってきたんですが、
この記事は言の葉の庭を見ましたということにかこつけた、ほぼ自分語りな雑感になってます。
映画の内容とはあまり関係がありません。
 
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「27歳の私は15歳の私より少しも賢くない」
「私ばっかり、ずっと、同じ場所にいる」
 
雨の中、ビールを飲んで、チョコレートをかじって。
誰からも認められないような、歩く練習をする。
私も同じように、練習をしていました。
 
昨日から雨が降っていて、あまり体調がよくなくて、布団でごろごろし通しでした。暇だから何か映画とか見たいなー、でもズートピアとイミテーションゲームで疲れたし、頭痛いし、重いのはなー、長いと寝ちゃうかもしれないしー、できればフィクション感強い作品でー、そしたらアニメかなー、見たことあるやつがいいよなー。あ、これにしよう。
 
 
舞台は雨の新宿御苑
私事なのですが、ちょうど高校生の頃にちょいちょい通っていた場所でもあります。
新宿御苑は不思議な場所です。大都会の真ん中にある、不自然な自然。平日なんかは人もほとんどいなくて、外の雑踏から突然切り離されて、入った瞬間異世界みたいな感じがします。入り口もちょっと鬱蒼としてて入りにくい空気あるし。映画だとその空気感が50倍くらい美しく、けれどリアルに表現されてます。草木のざわめきとか、雨の日の湿気とか。
ここ、新宿なんだよなーって空を見上げると、ビルと時計塔が見えて。このまま時計塔の文字盤が光って異世界への扉とか開かないかなー。単語帳ぱらぱら。あー、アクマとか出てこないかなー。そんで受験がなくならないかなー。単語帳ぱらぱら。デジタルワールド行きたいなー。英語わかんなーい!あーもーやだー!そしてそこらへんにあった葉っぱを池に向かって投げて帰宅。
あの景色は高校生の頃の記憶と強く結びついていて、そのせいか初めて見た時はタカオくんに感情移入しながら見てた気がします。
 
二年ぶりの今回、視点が全く変わっていました。
多分それは、「歩き方がわからない」感覚を知ったからです。
 
一時期、具体的には2014年後半から2015年半ばにかけて、絵が書けなくて書けなくて、ぐちゃぐちゃな時期がありました。合計すると10ヶ月ぐらい。見ながら思い出したのは、その当時の、箱の中に閉じ込められたような、どこにもいけない感覚でした。
それまではうまく書けないとしても「目が肥えた結果、今の自分に満足できなくなった」ものだったのが「書けていたものが書けなくなる」スランプにはじめて陥ったというか。誰でもぶち当たる壁なのかもしれませんが、しんどかった。
 
そもそも、なんか調子悪いなーうまく書けないなーって絵を変えようと模索してた時期に好きな人から「前のほうがよかった」って言われて、それがきっかけというかトリガーになりました。その人が悪いんじゃなくて、タイミングが悪かった。当時は自分が評価されすぎている、もっと上手くならないと評価に釣り合わない、という感覚がひどかったので、必死だったんですよね。(今もその辺の折り合いは微妙なんですけど)
今がよくないなら前に戻したいけど、私にとって絵柄は不可逆で、戻そうとするほど歪んでいく。全然可愛くないし変なんだけど、どこをどう修正すれぱいいのかわからない。文字を忘れちゃって、とりあえず見様見真似と感覚で書いてるけど「わ」と「れ」がどっちか分からないし、「三」と「ミ」が書き分けられないみたいな。
目がおかしくなったのか、手がおかしくなったのか、頭がおかしくなったのか。
 
今見るとこう書けばいいなってわかるんですけどね。
なんであの時はわからなかったんだろう、不思議。
でも、誰でもそういうもんなのかもなーって映画を見ながら思いました。
歩き方を忘れた大人は、毎日通ってたはずの電車に乗れない。書き方を忘れた私は、白いキャンバスを前にしてただ呆然とする。それでもまあ、日々が過ぎていく中で、なんとか形を変えてやっていけるようになります。時間って偉大だ。
 
雪乃さんの場合は、作中の通りタカオくんとの出会いによって、少しずつ変わっていきます。
私の場合は、そんなに必死になる必要ないや!やめるぞ!って決心して3ヶ月くらい何も書かずにほっぽってたら復活しました。今でも謎です。
まあ思えばこれも草を池に投げるようなもので、もっと早く新宿御苑に行って一旦逃げちゃえばよかったんですよね、きっと。
 
再度絵を書くきっかけは引き受けていたイラストでした。それがなければ本当にそのまま二度と書いてなかったかもしれません。ありがとうあやめ合同。今となってはもう一度書いてよかったー、やめなくてよかったーって感じです。ほんとよかったー。
そこからはまあそれなりに書いてます。やっと一時期の調子良かった頃に戻っただけな気もしますが。どうなんだろう。
 
 
この映画は45分と短く、全体的に静かです。
新海さんといえば背景、という感じですが、音響もいいんですよね。
静かすぎて退屈になりかねない序盤から中盤、空気感を引っ張っているのは、効果的に入ってくるピアノ曲です。どこもかしこもカットインで入るので少しびっくりはするんですけど。でもやっぱり、基本音のない中、ここぞというところで入ってくる曲たちはすごく気持ちいいです。
雨の音が生み出す淡々とした空気。電車の音。日常の音。暗転で切り替わるシーン。言葉少ない会話。ほそぼそとした喋り方。短歌と返し歌。
 
それらはすべて、彼女がもう一度、自分の意志で歩き出す瞬間につながります。
 
私の再出発とは大違いのドラマティックさです。二次元はずるいね。
誰でも一度は何かにくじけて立ち止まって、そこから歩き出した経験があると思います。今もうまくいってるのか分からない。またいつ歩けなくなるのかも分からない。歩くのは怖い。でも、立ち止まっていれば傷つかない、なんて、そんな都合の良いことはなくて。時間は勝手に過ぎていくし、周りは成長するし、それで置いていかれたような気がして焦るし。せめて日々の過ぎる早さにはついていきたいと思う今日この頃です。
 
 
最近「ちゃんとした」人生を送っている周りの人から、色々な報告もいただくので、雨の日は特に不安になります。まあでも新宿御苑に行けば、15歳のCV入野自由の男の子と会えるかもしれないし。いやでも15歳はちょっとだめだよな…
なんか人生あんまりうまくいかないことも多いけど、今日も明日も、まずは歩く練習からです。映画を見るのもきっと歩く練習。こうしてここに何かを書くのも。インプットをしてアウトプットして、もっといい絵とか漫画とか文章を書けるようになりたいです。裸足で歩けるのは格好いいけど、私が明日も履かなきゃいけないのはヒールですしね。
 
結局裸足で駆けていけるだけの強さって、誰かがいるから得られるものなんですよね。あーーー私にも靴を作ってくれーーー足幅広くて靴が痛いんだーーーーーーー
 
入野自由さんが大好きです、という話でした。あとなんか次は明るいこと書きたい!
それじゃあ続きはまたいつか。
 
 
 
 
 
 
 
以下読まなくていい蛇足。
(まあでも、スランプが長引いた原因は、某所でしねとか下手くそとかうざいとかまあ色々言われてるのをうっかり見てしまったせいでもあります。もう見ません。人の無邪気な悪意をまるごとぶつけられるのってやっぱ怖いですね。「晒されてるよ」とか「あそこで悪口言われてたよ」とか「裏でこんなこと言われてるよ」とかあとそこのURLとかはわざわざ本人に伝える必要がないものだよなー、と思います。少なくとも好意から来るものなら、私は褒めてもらえたほうが嬉しいです。という蛇足でした)