がんがんもんもん

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話したいことは山ほどあるけど

ズートピアは現実だったという話

追伸 

最後まで書いて戻ってきたんですが、
妄言力強いので楽しくていい話だったな〜泣けたな〜って思う人は読まないほうがいいです。
ネタバレ無しで書きたかったんですけど無理でした。
 
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いやー、なんかこう、すごい映画だった。
ディズニーってやっぱりすごい。
マイノリティのこと、マジョリティのこと。
無自覚な差別。種族の違い。いじめ。
夢を持つこと、叶えること。その空虚さ。
それでも、夢を持つこと。
理想郷はない。現実しかない。
それも全部、ファンタジーなら、あれだけポップに可愛く楽しく笑える物語として描けるんですよね。
「面白い」です。「辛くない」です。「ハッピーエンド」です。でも世界は続きます。少しだけよくなって続きます。
私はよく「ポップでくるんで世界を殴る」を指針と目標にしてるんですが、まさにそんな感じの映画でした。
すごいなー。いやー、すごい。ディズニーはすごい。
 
//追記ここから
この記事では差別のことを中心に書いてますが、ズートピア全体の印象としては
「現実をファンタジーとして描くなら」
って感じです。
他にもめちゃくちゃ色んな要素が絡んでてズートピアは人生って感じなのでぜひ自分の目でズートピアという街を覗いてみてください。
//追記ここまで
 
以下がっつりネタバレ込みの感想です。
 
 
うろ覚えで申し訳ないんですけど、一番最初の「夢を持つのはいいこと、叶う範囲でなら」「うさぎは農家をやることで世界をよくしてる」みたいな父親のセリフにまず頭がガーンってなって。ここは楽しいファンタジーじゃないよ、これから辛いこともある現実の話をするよ、って宣言を受けた気分でした。
で、実際その感覚は当たってました。
ジュディはキツネに勝てません。警官学校でも警察でも「うさぎ」というだけで扱いが悪いです。
たぶんジュディの両親もどこかで夢を諦めた時があるはずなんですよね。うさぎが警察官にはなっても辛いだけだと知っている。ズートピアは理想郷じゃない。親はそれをわかってる。うさぎの農家は世界をよくしてる。そういう人がいないと世界は回りません。
それでもたまに諦めの悪い子供がいて、ひたすら努力をして、その中でも一握りの子だけが夢を叶えて。
 
努力をすれば夢は叶う!ハッピーエンド!
には、ならない。現実だから。
 
まあ、案の定努力を重ねるシーンと警官バッジをもらうシーンで泣いて、そこから電車に乗ってズートピアへ行くシーンまでずっとボロボロ泣いてました。ギャグみたいな書かれ方でしたけど、ちゃんとドアのサイズが大中小あるのも、外が見やすいように違う高さのデッキがあるのもいいですよね。区別と差別は違うこと。
色々な区画を駆け抜けていくシーンで描かれるズートピアの世界は、最高の理想郷って感じでした。色んな人(じゃないけど)が生きていて、それは種族の差として当たり前に許容されていて、それぞれの人が生きやすいように街の設計自体が考えられていて。すごくバリアフリーなんですよね。
まあでも、施設がバリアフリーでもそこに暮らす人はバリアフリーじゃないんだなー。うん。そういうもんです。
 
希望あふれるズートピアにやってきて、初めてのお仕事は駐禁取り締まり。
そこからの展開の仕方は本当にすごいですよね。全部が無駄なく噛み合ってテンポよく緩急もついて伏線をばら撒きながら回収してドンドン進んでく。エンターテイメント!エンターテイメント!!!すごい!楽しい!ディズニーランドだ!って感じです。
次見る時はニックの感情の変化を追いたいんですけど、正直最初の信じて助けてくれてアイスくれた段階で普通に好きになってるよね、って感じします。最後のセリフお前がそれ言うんかい、と。
そして、二人は親睦を深めながら無事に行方不明者のいるところを突き止めて、それに関与していた市長を告発します。あやしい市長は捕まり、自分も認められる。
 
勧善懲悪!ハッピーエンド!
には、ならない。現実だから。
 
キリンは首が長い、ホッキョクグマは寒いところに住む、草食動物と肉食動物は違うものを食べる、は区別。
キツネだから人を騙す、うさぎだから弱い、肉食動物は古くは草食動物を食べていたから危険、は差別。
 
差別の話です。現実の話です。
世の中には知らず知らずの差別が横行してて、自分の知らない分野については軽い気持ちでくくってしまうことがよくあります。
ラベリングとかカテゴライズで性質を判断するのは差別だよなーって常々思ってるんですけど、そうやってくくると話がしやすいですし、そういう文言はもう日々大量に回ってくるし、いちいちツッコむのもあれだし。つい自分もやっちゃうし。
 
今日も「普通の男は一人称私を自然に使わないから使ってるキャラに萌える」(意訳)って文言が気軽に回ってきて、いやそれはどうなんだろう、と思ったんですよね。物心ついたころから特に理由なく、一人称が私の友人(男)がいます。小さい頃はオカマだとか言われて、それで俺に変えようとして、でも結局私が言いやすいからそのままなんだよね、って言ってました。
「普通の男」でくくると、そこから外れた人間は「普通」ではなくなって、変な目で見られたり面白がられたりします。でも、全部が全部「普通」の人なんていないよなーって思うんですよね。人間はバラバラの個体だから、絶対どこかで必ず少数派の部分があります。
目玉焼きには醤油かソースか塩か、とか。ある日いきなり、塩派は普通じゃない!塩を取っていると凶暴化する!塩派には危険だから近寄るな!とか言われないとも限らないんですよね。
 
だれかを責めるときには
「みんなとちがう」というけど
毎回「みんな」にあてはまる
そんなやつなんているのかよ
もんだいガール - きゃりーぱみゅぱみゅ
 
自分がその中の一員だったとしても(今回で言うなら男だったとしても)、代表になるような大きい主語を使うのは怖いよなあ、と思います。一員でないならなおさらですよね。
 
「肉食動物は」、をみんな気軽に使います。
みんな気軽に言って、自分もつい言ってしまう。それで肉食動物は生きにくくなる。草食動物より強くても、数には勝てない。でも、生きにくくしていることを、ほとんどの人は気にもとめない。ジュディの発言はまず友人を傷付けました。多分、傷付けたからこそ、そのことを強く受け止めて、その後の影響に気付くことになりました。
ジュディの言葉はどんどん大きくなって、膨れ上がって、自分では制御のできないところへ行ってしまって、それでも自分のしたことの重さは常に感じていて、どこに行っても付きまとってきて。
そして、それは夢を捨てさせるほどにショックなことでした。
 
今、SNSやらなんやら、簡単に拡散されて、簡単に共有されてしまう時代です。めっちゃ怖いです。死ぬほど怖いです。でも、その影響を考えてる人はどのくらいいるのかなーって不意に思います。裏で重さに耐えきれず夢を捨てる人がいます。傷付いて住みにくくなってる人がいます。
 
ズートピアはフィクションでエンターテイメントなので、そこでは終わりません。その後もばらまかれた伏線をぐいぐい回収して、めちゃくちゃ面白く進みます。
ニックの「本当にがんばるんだから」いいですよねー。
がんばる、諦めない、世界をよくしたい。そんな気持ちは一人の詐欺師を変えました。ジュディは大きい陰謀を暴きましたが、それとは別に詐欺師を改心させてるんですよね。これも世界をよくしてる。世界レベルの影響を与えるのは無理でも、そばの人を変えることくらいはできるかもしれない。
 
ズートピアを実写でやろうとしたら、とんでもないことになります。狩猟民族はかつて獲物を取っていたからそのDNAで凶暴化する。男は、女は、白人は、インド人は、ユダヤ人は、日本人は、中国人は、韓国人は、目玉焼きにソースをかけるやつは、なんて、ねー。
いまはリアルな形としては描けないから、そのためにこそファンタジーはあるんですよね。
 
ファンタジー。あの世界はどこにもなくて楽しそうだけど、どこまでも現実で。夢は叶わないし、いじめはあるし、生まれ持った才能の差もある。
でも、世界はよくなっていきます。種族が違っても一緒にサッカーができるし、みんなで楽しく踊れます。違う形の尻尾を揺らして、色んな足跡が鼓動を脈打つんです。
そんな理想を描くことはできます。ファンタジーだから。
 
(あと、男女のバディもので最後にくっついてキスして終了じゃないとこにめちゃくちゃ希望を感じたんですけど、その辺の話はその辺の話で長くなるのでまた今度にします)
 
なんかこう、あんまりにもズートピアが現実だったので、最後のハッピーエンドのあと、映画館のロビーでのいろいろな人の当たり前に差別に満ちた会話を聞いて、めちゃくちゃしんどくなったんですけど、ズートピアに行きたいって少しでも思ったなら、いまいる地球こそが憧れてるその場所なんだから、まあちょっとだけ偽善的なことでもするかーって思いました。
帰りの電車で二人組の人が座れるように席を移動しました。うさぎ農家も世界をよくしてる、って信じたいですね。
あとズートピアを見ていたら動物に触りたくなって、ソフトモヒカンの人の頭をひたすら撫でさせてもらいました。
気持ちよかったです。
 
それにしてもこじらせオタク女は話が長いですね。
って閉じたくなりますが、話が長いのは私の持つ性質でこじらせオタク女とはなんの関係もありません。
がんもは話が長いですね。
 
それじゃあ続きはまたいつか。