がんがんもんもん

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がんがんもんもん

話したいことは山ほどあるけど

どんな愛だって正しい、ユーリonICEの話

感想

今をときめくユーリオンアイス。遅ればせながら見ることができました。

ユーリオンアイスは、5話で勇利が語る通り「愛」についての話です。
親や地元への微妙な気持ち、友愛、親愛、異性愛、同性愛、兄妹愛、博愛、愛国心、スケートへの気持ち。
名前をつけるなら「愛」になるすべて。
率直で、直球で、愚直、真摯に。
愛について語っている。

余談
ホモアニメか否かでいえば男性同士が愛し合っているので、ホモも要素としてあるアニメ、だと思います。
そういうのに過剰反応する人には見られないと思います。
でもまあ昨今レズが要素としてあるアニメが大量に流れているので、適当に自由に放送してわいわいできたらいいよね。苦手なものはふわっとスルーです。
余談おわり

と、いうわけで、各国の選手と彼らの背負う「愛」について考えてみることにしました。


「愛」には色々なものが含まれています。
物語の初期ではエロスとアガペに分割され、それはそれぞれ勇利とユーリに与えられました。

というわけで、勇利の背負う愛にはまず「エロス」があります。
そして勇利はSPのエロスでは大きな失敗をしていないんですよね。ヴィクトルが与えてくれた愛。ヴィクトルへの愛。初めて知った、今まで逃げてきた情欲としての愛。
SPが二人の愛を確かめる行為であり、そのまま肉欲でエロス、言い切れはしないですが、いわゆる情事だとして、二人の仲が深まるごとに勇利は誘惑方法を、愛を伝える方法をどんどん進化させていきます。
ところがFPについては「勇利」の人生を謳ったものであるのに、ヴィクトル抜きでは満足の行く演技ができていない。中国大会での脳内ヴィクトルまみれが一番の演技ですし(ジャンプは失敗してるけど)、ロシア大会も持ち直したのはヴィクトルのことを考え始めてからですしね。
私はまだ勇利が自分自身を愛せていないことの現れなのかと考えていましたが、それだけ勇利の人生はヴィクトルで一変してしまったってことの表現なのかもしれません。
でもこう、「ヴィクトルを満足させられるのは僕しかいない」から「このプログラムを僕より魅力的に滑れる人間はいない」「このプログラムを世界で一番愛しているのは僕」になったので、次あたり「僕が世界で一番だ」くらい言ってくれるかもしれない。
個人としては曲名が「ユーリオンアイス」であるならば、ヴィクトルに限らず、5話で語っていた様々なものへの愛を思い浮かべながら滑ってほしいと願ってしまいます。


逆にユーリに与えられた「愛」はアガペ。
おじいちゃん子のユーリは、自分のアガペを祖父に見出します。祖父が来ることでアガペが完成すると言ったユーリ。祖父の来られなかったロシア大会SPでは、滑走中の頭の中はぐちゃぐちゃでした。アガペなんて欠片もない。
勇利はもう「カツ丼や美女に頼らない自分のエロス」へ到達しているんです。ヴィクトルとの愛を知って。
ところがユーリには「自分のアガペ」がない。それどころか「祖父という存在から得たアガペ」も表現できていない。それを打開するひとつのきっかけがカザフスタン代表オタベックとの友情にあるのではないでしょうか。「友愛」を知ったユーリは「アガペ」へたどり着けるのか。


そして5話で「愛」を掲げた勇利は様々な愛がうずまく世界へ繰り出します。


タイ代表、ピチットくん。
彼の背負う愛は「愛国心」です。彼の踊る曲の映画のタイトルは「王様とスケーター」。「Your Majesty」からはじまる曲はどうしたって「愛国心」という言葉を思い出さずにはいられません。
タイ人には王様が大好きな人が多くいます。そりゃもう大好きです。ピチットの心中や、彼が滑るときの実況では、「タイ人として」というフレーズが頻出します。彼個人の戦いではなく、これからタイでどれだけスケート人口を増やせるのか、タイの英雄になれるのか、世界にどれだけタイを知らしめるのか、そのすべてが自分の演技にのしかかっている。そういう戦いです。
そんな中でフリーで滑るのは「テラインコグニタ」。ラテン語で「未知の領域」。一言目は「僕が掴んで見せる、タイの未来!」
彼の中で「愛国心」は完成されていて、揺るぎないものです。

ピチットは、ヴィクトルと勇利の結婚を、なんでもないことのように祝福します。「同性間の大変な愛を乗り越えた」と祝福するのではなく、ただ友人が結婚をしたからめでたい。それ以上でも以下でもない。そこがすごくフラットでいいなあと思いました。


グァンフォン。
今期のテーマは絆とバイオレンス。
「中国の英雄になるのよ」と言って送り出されたFP。
グァンフォンは「なんで裏社会の殺し屋をやって英雄になれるんだろう」とひとりごちます。
彼は母国色の強い曲を演じますが、ピチットと違っていまだ体現できるほどの強い愛国心はなく、それは彼の年齢が16歳であることに依るのだと思います。それはそのまま、同じくらいの年齢のユーリにも言えることで。彼はこれから愛を学んでいく存在として中国大会に配置されたのではないでしょうか。
「僕はこんなところで野垂れ死ぬ男になんか絶対ならない」


ギオルギー。ハートブレイク。
これ、「失恋」って訳してないのがいいですよね。彼は別れた彼女への愛を全く失ってない。失うどころか、ギラギラと燃え上がっている。心が破れても、また新しい心を生み出している。執着心とも言いかえられる。そしてその執着心も、やや身勝手な愛も「自分のスケート」として肯定される。「彼女の悲鳴が浮かぶ」とも言われますけどね。
この執着心の愛は、離別することでの愛のミッキーと比較できると思います。そして、そのどちらも否定されない。


レオ。音楽への愛。
「自分の好きな曲だから、自分のイメージ通りに滑りたい。ただそれだけ」
「この世界を好きなもので埋め尽くしたい」
「音楽に出会ってなければどうやってこの魂を勇気づけることができただろう」
彼の愛は、語らずともこれに尽きる気がします。音を楽しむ。純粋な、本来的な意味での音楽。
技巧に頼りすぎない、ストレートでまっすぐな演技にも現れています。
フリーも写してくれー。レオくんの演技みたいぞー。


クリストフ。エロス。そしてスケートへの愛。
彼はスケートで達してます。
つまりはそういうことだと思うんですよね。
誰もがスケートを愛しているけれど、彼はスケートを恋人のように愛しています。滑ることそのものが愛の体現であり情事である。そして、ヴィクトルも同じだと思っていた。ヴィクトルを自分の理解者だと思っていた。ところがそれは裏切られます。ヴィクトルには守るものができた。それは弱くなることだとクリスは思っている。孤独な愛。
「俺の好きなスケートを滑れるのは俺だけだ」は「ヴィクトルを満足させられるのは僕だけだ」との対比で響いてきます。


イ・スンギル。今シーズンのテーマは貪欲。
正直なところ、彼については多く描かれていないのでわかりません。
淡々と、けれど情熱的に、ひたすらに新しいイメージを取り込んでいく姿は全てを取り込んだモンスターの生まれそうな気配を感じます。スケートを愛していることは確かなのでしょう。

エミル。
これまた情報が少ない。
飛べるけど演技が大味。ミッキーと仲良し。サーラを狙ってるっぽい。いいやつ。いいやつなのはわかる。ほんっとわかる。いいやつ。


ミケーレとサーラ。わかりやすいですね。兄妹愛です。
彼は自身の思いを騎士道と評しています。が、サーラは「このままじゃ二人共駄目になる」と感じている。
そして「愛がなくても私は滑る」と告げます。
これは誰もが「愛」の力で滑ってきたユーリにおいて結構衝撃的なセリフでした。「特別な愛を持たない」ことの肯定。
サーラはミッキーを愛していますが、ミッキーの持つ執着ほどではありませんしね。そしてサーラはきちんとグランプリファイナルに残ります。「愛」は人を、演技を強くするけれど、愛がなくても戦える。現在恋人や特別に愛する人やもののない私には励みになります、サーラの存在。

ミケーレのFPは「行き場を見失った愛が感じられる」と評されます。これを言うのが同じく行き場を見失った愛を抱えているギオルギーなのがいいですよね。
ギオルギーは行き場を見失った愛を諦めませんでした。醜くも必死に抱え込んで、恐れおののくようなスケーティングをしてみせました。
一方ミッキーは突き放されて手放すことを決めました。最後に捧げる「真実の愛」。別れを告げる。その覚悟。柔らかいスケーティング。
そのどちらも、自分の殻を破った今までで一番いい演技とされている。どちらの選択も間違っていない。


JJ。自己愛。
自己愛というのは強いものです。自分が世界の中心で、だからこそ世界を愛することができる。
JJのスケートは見ていてとても楽しいです。レオ同様音楽を愛していて、クリス同様スケートを愛していて、ピチット同様祖国を愛している。恋人を愛しているし、ファンの人たちを愛している。
彼は自分を愛している。そして自分を取り巻く全てを愛している。全てを愛しながら彼は叫びます。
「こんなんじゃ愛が足りねぇよ!!」


一方でヴィクトルは「LOVE」を20年以上ほったらかしにしてること、と語っています。いた、ではなく「いる」。あれだけ勇利と愛をはぐくんでおきながら現在進行形です。
それでも彼はずっと頂点にいました。
私はヴィクトルのことがよくわかりません。ヴィクトル視点を見れば分かるかと思ったんですが、10話を見てもよくわかりませんでした。愛が主軸になる物語で、ヴィクトルの愛がよくわからないから、ヴィクトル自身のことが何もわからないのでしょう。本人すらも自分のことをわかっていないのかもしれません。
勇利が愛を見つける物語は5話でひとつの完結を迎えました。それならば次は、ヴィクトルが「LOVE」を見つける、あるいは勇利がヴィクトルに愛を与える物語、になるんですかね。


ユーリにおける愛は、それがどんな姿であれ、他の人から否定されることがありません。
エミルはミケーレに「兄がこんなにでしゃばるのはおかしい」なんてことは言いませんし、「男同士でキス」みたいな見出しの新聞やテレビも写りませんし、誰一人「男同士で結婚かよ」みたいな反応をしません。失恋して諦めないことも、離れていくことも、全ては本人だけが選べる問題として捉えられて、肯定的に描かれています。
そして、迷いなく強い愛を持ったものがグランプリファイナルへ残っています。
どんな形であれ、「愛」はいいものだ。

私はそんな作品が製作者サイドから精一杯の「愛」と「加護」を受けて生まれてきたことが、とても嬉しいです。

それじゃあ続きはまたいつか。